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通りを行く人々は、それに気付くと次々に足を止めた。
彼らの視線が向かう先は一人の少女。肌も露な格好をした踊り子。
賞賛の声を小さな身に受けながら、彼女は一心に踊り続ける。
顔を上げ、花のような笑顔を振り撒けば、老若男女、その誰もが魅了されてしまう。
だが俺は知っている。
その表情は彼女にとって、心からの笑顔ではないことを。
「ありやとっしたー」
プロンテラの大通りに、俺の威勢だけはいい声が響く。
最後のお客を見送り、手早く露店をたたんでいく。
傍らで愛想よく手を振っていた少女は、人の視線がなくなると同時に笑顔を消した。
そのまま小さな身体を隠すように、俺のカートの後ろに屈み込む。
先ほどまでとは明らかに変わってしまった顔色が見えて、俺は心配から声を掛ける。
「大丈夫か?」
「……頑張る」
見たところ、あまり大丈夫じゃないようだ。
俺は片付けた荷物をカートに押し込むと、彼女の手を取り、急ぎその場を離れた。
つい最近、首都の大通りで名を売り始めた二人組。それが俺たちである。
俺はようやく自作武器を店に並べられるようになった、駆け出しの鍛治士。
彼女はすでにその才能を花開き始め、人々の期待を受ける踊り子の卵。
歳はいくらか離れているが、俺たちは幼馴染であった。
一流の鍛治士と踊り子になるという夢を持ち、別々に故郷の村を離れた二人。
俺がなんとか鍛治士の称号を受け、ようやくスタートラインに立てたその直後だ。
それを巡り合わせの妙というのだろうか。
やはり踊り子となっていた彼女と、この首都で再会を果たした。
初めて見た彼女の舞に、俺は一瞬で心を奪われた。
踊り子としては幼すぎる顔立ちの少女は、しかし踊り始めると誰よりも光を放った。
同時に、才能の存在を見せつけられてしまった。
いまだにまともな武器が打てない俺に比べて、彼女はずっと先を歩んでいる。
気付くと寂しくなった。けれど誇らしい気持ちもあった。
複雑な感情を持ったまま、その日は別れた。
それから、俺たちはちょくちょく会っては話すようになった。
互いを励まし合い、グチを言い合い。それは楽しい毎日といえた。
だが彼女と別れる度に、言いようのない不安が俺を襲っていた。
口に出すことはなく、逃げるように煙草を覚えたのもその頃だ。
(2/4)
ようやくまともな武器が打てるようになってきた俺に、新しい悩みの種が出てきた。
せっかく作った武器がちっとも売れてくれないのだ。
冒険者は、より良い武器を欲している。命を預けるに値する武器を。
だから彼らは皆、名声を受けた職人の手による業物を求める。
駆け出しの俺が作った武器なんぞには、誰も見向きもしない。
ちくしょう、こんなんじゃいつになったら……
焦りを誤魔化すように、俺は煙草をくわえたまま酒場のテーブルに突っ伏す。
すると目の前に影が差し、形の良いヘソが姿を現した。
「どうしたの……?」
聞きなれた、か細い声が頭上から降ってくる。
見上げれば、あいつの不安そうな顔があった。
ぐだぐだと悩んでいる間に、もう待ち合わせの時間になってしまったらしい。
「ん、いや……なんでもねーよ」
身体を起こし、煙草を灰皿に押し付ける。
心配ないと軽く手を振ってみせ、彼女に椅子を勧める。
煙草を覚えちまってからわかったことだが、彼女は煙が苦手である。
わかっていながらも煙草をやめられない自分が情けないが。
「でも、悩み事があるんじゃないの……?」
「ん……」
隠そうとしてもバレてしまう。そのくらいは分かり合える仲ではある。
幸いにして「武器が売れない」ことについては、どうやっても自分の責任だ。
だから俺は気兼ねなく、いつものようにグチをこぼしてみせた。
すると、彼女は思いがけない言葉を口にしてみせた。
「えっと……、じゃあ、こういうのは、どうかな……」
「お前……、それ本気なのか?」
彼女が出した案に、俺は驚きを隠せなかった。
“俺が露店を開いているその横で、彼女が踊る。”
彼女の魅力的な舞を知っているだけに、それは願ってもいない提案と思えた。
武器を求める数多の冒険者に対して、名声を受けた職人はほんの一握り。
実はほとんどの冒険者は、その他の鍛治士が打った武器を使っている。
俺が打った武器だって需要がないわけではない。
人の目に触れさせることができれば、売れない道理はないのだ。
だが、俺のチャチなプライドがわめき出した。許されるのかと。
彼女ほどの一流の舞を、こんな駆け出しの鍛治士の作った武器と共に並べることが。
尻込みをする俺に、しかし彼女は引かなかった。
一度だけでもいいから、と願う彼女に、俺は渋々ながら承諾する。
なぜ彼女がそこまでしてくれるのか、その時の俺は少しもわからずにいた。
彼女の踊りは、当然のように人目を引いた。
その日の売上は武器を除いてさえ、それまでの倍以上の額を叩き出した。
嬉しさと情けなさが入り混じったような表情で、俺はその計算をしていた。
やはり明日からまた一人で頑張るよ。そう告げようと彼女を振り返ると――
そこに彼女の姿がなかった。
「なんだ……どこに行ったんだ、おい」
あいつの性格からして、俺に何も言わずにいなくなるなんてありえない。
なのに周囲を見回してみても、彼女の姿を見つけることができない。
そして建物の間に出来た小さな路地へと至る入り口、見慣れた靴が落ちていることに気付いて、俺は慌てて駆け出した。
半ば頭に血を昇らせて路地を覗き込み、一瞬にして冷えた。
俺は知ってしまった。
同年代の誰よりも抜きん出ている、踊りの才能に愛された少女。
そんな彼女が、踊り手として致命的な問題を抱えていることに。
そのことにずっと悩んでいたことに。
あの日感じた二人の距離など、俺の勝手な思い込みでしかなかった。
彼女は俺と、何も違いはしなかった。
路地の先に、彼女のあられもない姿が合った。
彼女がきっとひたすらに隠し続けてきたものを、俺は見てしまった。
俺にはもう、彼女が露店の手伝いをすることを止めることはできない。
彼女が俺に何を望んでいたのか、気付いてしまったのだから。
彼女を助けてやりたいと、俺が思ってしまったのだから。
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「……ごめん、もうダメ……」
繋いだ手の先にあった彼女の唇が、そうぽつりとこぼす。
なんとか宿の部屋にまで連れて行きたかったのだが、どうやら限界のようだ。
幸い、露店を開いていた場所からはいくらか離れることができた。
素早く辺りをうかがい、俺たちに注視している相手がいないことを確認する。
「よし、こっちだ」
俺は彼女の手を引いて、人気のまったくない路地裏へと駆け出した。
可憐な踊り子を伴った俺の露店は、瞬く間に街中の噂となった。
客足はうなぎ昇りとなり、俺の製造が追いつかないくらいに売れ始めた。
観る者を惹きつけて離さない彼女の舞は、日を追うごとにさらに磨きが掛かる。
巷では非公認のファンクラブらしきものまで出来たらしい。
彼女に直接言い寄る男もいないことはなかったが、滅多になくなった。
俺が文句を言った訳じゃない。他の観客が黙ってはいなかったのだ。
負けじと俺も腕を磨いた。上級冒険者向けの高等な武器も作れるようになった。
傍からは、俺たちは成功への道を順風満帆に進んでいるように見えるだろう。
彼らは知らない。知ってもらおうとも思ってはいない。
踊りを舞い終える度に、彼女がある衝動に苛まれてしまうことなんて。
彼女が抱えた爆弾は、今なお彼女を苦しめ続けている。
だから俺が側にいる。傷つきながら踊る彼女を慰めるために。
運の良いことに、そこは袋小路になっていた。
これならば通りの先から誰かが来ることを心配しなくてもよい。
彼女を壁の側へと座らせると、路地の入り口を見張るため俺は踵を返す。
それに気付いた彼女が声を寄せる。
「どこ……行くの……」
「どこって、お前。決まってるだろ。誰かがこないように見張るんだよ」
「やだ……」
「は?」
「行かないで……」
苦しげに呟く彼女の、その言葉が持つ意味を俺は必死に考えた。
そこにあるのは不安だ。
これから始まる彼女の行為は、他人に見せるわけにはいかない。
誰もこないとわかってはいても、ここは屋外だ。独りになるのは怖いのだろう。
しかし俺だって、他人であり一人の男だ。
彼女にとっての俺は、気の許せる幼馴染なのかもしれない。
だが俺はそうはいかない。もう昔のように彼女に接することはできない。
再会したあの晩に、俺は魔法に掛けられてしまっていたのだから。
村にいた頃は、仔犬のように俺の後を追いかけてくる妹分でしかなかった。
そんな彼女をいつの間にか女性として意識している自分を、俺は否定できないのだ。
「無茶、言うなよ……」
「ごめん、でも……んっ、は、ぁ……」
彼女の上擦った声が俺を急かし立てる。
どちらを選ぶにせよ、俺が決めなくては彼女を苦しませ続けてしまう。
「お願い……そばに……」
「わかった」
一言だけ返し、怯えた顔を見せる彼女の髪をそっとなでてやる。
俺は彼女を傷から守るために側にいるのだと決めた。
彼女が安心してくれるなら、それが一番正しいことだと思える。
俺は彼女から手を離すと、わずかに数歩、意識的に足音を立てて遠ざかる。
陽の光が届かない路地裏は、昼間でもとても暗い。
この距離でさえ、俺からは彼女がほとんど見えない。そして彼女からは
「ここにいる。けど、ただ待ってるだけじゃ暇だから」
煙草を取り出し火をつけて、一度大きく紫煙を吐き出す。
彼女は煙が苦手だ。だからこの瞬間だけ、二人の間にはっきりと距離が生まれる。
風に流されて消えてしまう、在って無いような距離。
必要だから生まれて、決して互いを傷つけない優しい壁が二人を遮る。
煙草のささやかな光を見つめながら、背中越しに俺は彼女に言ってやる。
「俺が後ろを向いている間に済ませること」
「うん……」
彼女の声がどこか安心した色を含んでいたことだけが、俺の救いだった。
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彼女の漏らす小さな声が俺の背中へと届く。ここにきて俺は自分のミスを悟った。
暗い路地裏は静かすぎた。この距離では、息遣いまでもが伝わってしまう。
今さら場所を替えようなどとは言えない。事が終わるまでは、彼女に声も掛けられない。
やがて聴こえてくる切なげな呼気が、俺に彼女の様子をありありと想像させてしまった。
濡れそぼった朱色の唇に、彼女のしなやかな指先がそっと触れる。
そのままゆっくりと口を開くと、二本の指が無防備な彼女の内部へと侵入していく。
異物をくわえ込む感覚に、彼女はびくりと肩を震わせ、その衣擦れの音が――
想像と刹那も変わらぬタイミングで、音が俺の耳に響いた。
やばい。俺の中の何かが激しく警鐘を鳴らす。
だが彼女は止まらない。俺の想像も留まりはしない。
彼女にとっては、幾度となく繰り返したことであっても慣れるものではない。
かと言って我慢ができるものでも、やはりないのだ。
だから彼女は、意を決して指を一気に根元まで沈める。
カギ状に形を変えて、熱い体液に守られた粘膜を強く刺激すれば、それだけで
ひぅっ、と彼女の小さな嘶きが俺を現実へと引き戻した。
後に続く声にならない悲鳴が、彼女が果てへと辿り着いたことを知らせる。
俺はたまらず額に手を当て、かぶりを振った。
「う、ぁ……うげぇぇぇぇぇぇ……」
こりゃ今日の昼飯が台無しだな……
青褪め、おぼつかない足取りで戻ってくる彼女に渡すべく、俺はカートから水袋を取り出した。
「落ち着いたか」
子供をあやすように髪を梳いてやりながら訊ねる俺に、彼女は小さく頷いて見せた。
ベンチに肩を寄せて座り、二人は言葉少なく夕闇に染まって行く街並を眺めていた。
「ごめんね、いつもいつも……」
「ばーか、んなこと気にしてんじゃねーよ」
謝ろうとする彼女に、俺はそっけなく応える。
極度の緊張症で、人前で踊るとストレスから体調を崩してしまう彼女。
胃の中のものを全て戻してしまわないと、まともに立って歩くことさえできなくなる。
そんな体質を持っているにも関わらず、彼女は踊ることをやめない。
俺が一流の鍛治士になりたいと思った理由を持つように、彼女にもそれはある。
直接訊ね答えてしまえるほど、俺たちは赤裸々にはなりきれてはいない。
再会したあの日、俺の前でだけ踊った彼女には症状が出なかった。
俺に対してだけは、何の緊張も持たずに舞うことができるらしい。
それが意味するものは複雑なところではあるが、そのお蔭で俺は彼女の側にいられる。
だからどんな理由であっても構わない。彼女が俺を頼ってくれている限りは。
何もかもまとめて、俺は彼女を助けてやるだけだ。
「うん、ありがとう……」
小さく呟いて、彼女が身体をさらに俺へと傾ける。
ふいに、故郷の村にいた頃もこんな風に二人で話していたな、と思い出す。
いつになっても、こいつの甘えたがりは直らないのかもしれない。
それを嫌だと感じることはもちろんないが、気になることがひとつある。
「なあ、そんなに俺にくっついて、タバコ臭くないか?」
なんだかんだと禁煙できずにいる俺が言うことじゃないのかもしれないが。
匂いに当てられて、また気持ち悪くなられたりしても大変だ。
「ん、大丈夫。平気だよ」
「そうか? 無理はするなよ」
大丈夫といわれても素直に納得することが出来ず、心配になってしまう。
そんな俺に、彼女は目一杯の微笑みを向けてみせた。
「タバコの煙は苦手だけど、この匂いは嫌いじゃないよ……、だって」
踊っているときに見せる、傷を隠して強がる笑顔とは明らかに違っていた。
それは今このとき、世界で俺だけに許された幸福。
「私の一番大好きな人の匂いだもん」
彼女の心からの笑顔が、そこにあった。
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